ある友人への手紙の形を借りて、自然医学についての解説を試みました。 拝啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 お手紙ありがとうございます。さすがに的確なご意見と感じました。これについて、私なりの補足説明を行います。さらに、私の立場や賛同するパラダイムを簡単に述べます。順不同で思いつくままに書きましたので、読みにくいと思いますが、ご勘弁下さい。また、一部表現が不適切であったり、特定の個人・団体を非難するような箇所もありますが、決して、特定の団体を非難していることはありませんので、ご承知置き下さい。 まあ、こんなことを考えている奴もおるのかといった寛容なお気持ちで読んで頂ければ幸いです。ついでに、資料なども同封しましたので、よろしければお目を通して下さい。 -----------はじまりはじまり------------------------- 1.腸造血について ・学会で相手にされていない理由は、わが国の一般の医者が無関心なだけである。もちろん、賛同する方もいるが、そういう人もまとめて無視されるのが、わが国の学会の風習である。かの東北大の西澤先生も海外で評価されるまで、国内ではことごとく無視され続けてきた。みなさん、権威者に弱く、権威者の説に反することを言って職を失ったりすることを極端に恐れるのである。厚生省の阿部氏が血液製剤に対して下した判断にだれも異議を唱えなかった事実を見よ。 ・無脊椎動物など原始的な種では腸管での造血が行われている。 ・人でもGALT(gut-associated lymphoid tissue)と言われる巨大な腸管造血巣が存在するといっている医学者もいる(西原[1]、[2])。 ・森下は、骨髄造血は通常の状態では行われないと言っているが、西原は人の場合骨髄造血と腸管造血との両者が行われていると述べている[2]。もっとも西原も造血場所の引っ越しについて述べており、この点は森下の説とは異なっている。 2.自然発生説について ・病的バクテリアや病的ウイルスの発生は、自然発生すると言うのは、細胞の自壊作用でその構成要素が変化するという意味だと思う。 ・自然発生説が否定されたように、みなさん習ってきているが、それは、子供は親から生まれるのだと言っているだけである。生命の発生そのものについては何も語られていない。依然として生命の発生は謎である。最初の生命はどのように発生したのか。自然発生ではないのか。[5] ・細胞自体、一つの生命活動の単位ではなく、その起源はさまざまな有機体の共生であると言われている。(ワトソン[3])そうした構成要素は、現在のウイルスに相当する擬生命体であると考えることができる。従って、細胞が崩壊する過程で、そうした要素がウイルスとして単独行動にでることは、決して不自然ではなく、自然に発生することもあり得よう。 ・例の教科書に載っている自然発生説を否定した実験は、生体内ではないし、ましてや煮沸した肉をフラスコに入れて密閉して行った実験なので、森下の述べている結論とは全く別の話である。 3.オーダーエスティメイトと非線形現象について ・生命現象は非線形であり、極めて少ない要素が全体に及ぼす影響が大きくなることがあり得る。これは、化学反応でも触媒の働きがそうであるが、生体の場合、ポジティブ・フィードバックが掛かることによって、わずかな原因からの生成物自体が触媒となって反応が急速に進むことがある。 ・数少ない悪人が、大多数の人たちに、多大な影響を及ぼすことがあるのと同様であろうか。 ・私も学生の頃、この訓練をやらされ、新幹線が1年間に輸送する人数を推算したことがある。そうした現象にはうまく適用できるが、新幹線に事故が起きたときの社会的影響などへの適用の場合、1桁や2桁は簡単に違ってしまい、それによるリスクは大きい。危機管理上はオーバーエスティメイトが必要であろう。 ・したがって、オーダーエスティメイトが適用できるのは多くの場合、線形現象であり、特にポジティブフィードバックが働く現象については、時間的な推移を考えると適用できない。 4.フィチン酸が公害物質を無毒化することについて ・これはご指摘の通り明らかに言い過ぎであろう。玄米食を続けることによって、免疫力が高まり、排毒作用が昂進されるというのが正しいと思う。 ・カネミ油のようなPCB入りであらば、いくらなんでも無理である。ご指摘の通り。農薬入りの玄米についてもその通りである。最近は農地の地力も衰え、大気や水の汚染もあるので、昔のようなよい玄米は望めない。 ・しかし、桜沢如一は、完全な玄米食(玄米とごま塩と味噌汁と梅干し)をしておれば、原爆もこわくないと言った。私にはそれは理解できないが、少なくとも、玄米を食うには噛む回数をめったやたらに多くせねばならないことは確かである。これは、自分が10年以上玄米食をしていながら、ずっと早食いをしておりほとんど噛まずに飲み込んでいたから実感している。白米でもそうだけれど、白米は10回も噛んでいると胃に送り込まれてしまうので、必然的に噛む回数が多くとれない。しかし、100回も噛むというのはつらいものである。 5.塩分のとりすぎについて ・塩分をとりすぎると高血圧になるというのは、自然塩ではなく、精製塩(塩化ナトリウム)についてであると一倉は述べている[7]。自然塩にはカリウムなど、塩化ナトリウム以外のミネラルが微小量含まれており、それらの成分がナトリウムイオンとは拮抗した作用をする。 6.私の考え ・私は、腸造血は動物の発生過程を考えればまことに自然であるので、信じている。従って、食生活に注意することによって血液がきれいになると考えている。ガン治療の実績からも正しいと思う。骨髄造血についてはどちらとも言えない。作られているかも知れないが、わずかではないかと考える。 ・一倉理論に付いては、私としては、卵醤うんぬんよりも全体としての陰陽の原理についてご理解頂ければと思う。もちろん、ご賛同を強要するものではない。 ・運動が重要なのは身にしみている。自宅で仕事をするようになってから体調が悪くなったので、よく分かってるのである。しかし、なかなか実践できないところが困る。カントは、毎日決まった時間に時計のように正確に、早足で散歩したと言う[4]。また、それを誇りにしていたようだ。私もそれくらいの意志の力があればよいのだが。 ・ほかにも、そんな馬鹿なと思うような理論はある。例えば、原子転換というのがある。これは、核反応を起こさずに原子が他の原子に変化するという実験結果を説明する理論である。貴殿にしてみれば、大いにインチキだと棄却されそうな代物だ。しかも生体内で起こっているという。これは別に森下の発明した説ではない。るつぼで実験できるとかで、実験キットまで売られている。やってみなければ分からないので、何とも言えないが、あってもよい話だと思う。注意する必要があるのは、こうした理論は新説ではなく、昔からあり、歴史のなかでときどき顔を出しては忘れ去られていくということである。思うに、幾分かの真理であればこそ完全に消え去ることなしに、命を吹き返すのだろう。教科書にはもとより、科学雑誌などにも出ていることはない。 ・西洋科学の要素分解主義に対する、逆説としての全体論的な東洋思想、東洋医学に大変関心がある。そんなわけで氣功を習ったりした。氣は実在すると思っている。自分が感じるからである。<その氣功もさっぱりやらなくなった。困ったもんだ。> ・東洋医学では脈を診るだけで、体質と病状を判断できる。西洋医学でも問診したり打診したりすればかなり分かるはずだが、そうした人間の直感を排除する方向に進んでいる。挙げ句の果てが、検査の連続関数で病人が疲れきることになり、さらには検査結果の判断を医者が検査技師に尋ねるという状況になっている。これは、まずいと思う。そうしたわけで、私はエンジニアでありながら、「科学的」という言葉には不信感を抱いているのである。 ・システムは階層構造になっており、複数のサブシステムから構成されているが、そのシステム自体が上位のシステムのサブシステムとして機能している。これはご存じホロンの考え方である。全体を見て判断するというところが森下の医院のよいところである。これに対して、一般の西洋医学の医者は各部の検査結果を局所的に判断して、その局所的な不調和を外部からの作用で取り除こうとしている。いわゆるホメオスタシスということから言うと、バランスを崩す方向に持っていこうとしているようだ。 ・体系だった理論無しでは、説得力もないし、自分自身のモチベーションも得られにくいと思う。そんなわけで、森下理論にも多少オーバーな表現やこじつけもあるかも知れないが、インチキではないと私は思っている。もちろん、その理論に反対する人がいても構わないと思う。 ・そう考えると、私は、森下理論についてはこれこそ正しいと直感したのは、初めから信じようという姿勢で接したからなのでしょう。逆に、いまでもいかがわしいと思っている理論もいくつかあり、特にダーウィンの進化論はあやしいと思う。教科書では、突然変異によって生まれた新種が環境への適応力が従来種よりも強い場合に、その種が生き残り、それによって生物が進化してきたと書いてあったと思うが、今では、そんなことがあり得ないのは、確率の計算をしてみればすぐ分かる。サルのタイプライターの話が有名である。これなども、インテリが如何にパラダイムの変化に対応できないかのよい例であろう。[6] 参考文献 [1]西原克成、顔の科学、日本教文社、平成8年、pp.167-180. [2]西原克成、哺乳動物の生命の掟とヒトの生き方その3、自然医学、号巻不明。 [3]ライアル・ワトソン、生命潮流、工作舎、1981、pp.92-110. [4]Hamerton, Intellectual Life, Little Brown and Company, p.12, 1899. [5]中村友紀夫、生命とは何か、パラダイムブック、pp.128-135、日本実業出版社、1996. [6]大野乾、遺伝子配列の進化とダーウィンの功罪、現代進化論の展開、pp.61-70、岩波、1982. [7]一倉 定、正食と人体、pp.18-22、致知出版社、平成9年。 |
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