2013年12月26日木曜日

震災の被災地の現状(のほんの一部)を見てきました

NICT(独立行政法人情報通信研究機構)の耐災害ICT研究センターが、仙台の東北大学構内に竣工しました。今回、そこに仕事で出張する機会があったので、前日に現地入りして近隣の沿岸部を見学しました。
耐災害ICT研究センターのプレート

向こう側に見える建物が耐災害ICT研究センター、手前の昭和の残像は学生会館

今回はあまり時間がなかったので仙台近郊の沿岸部、塩竈市、松島町、東松島市、石巻市あたりを見て回りました。市街地はほとんど復旧しているようですが、海の近くでは、緑地が少なく、砂地だったり草地だったりで、冬だからかもしれませんが、農業生産が行われている様子が見られません。
瓦礫は見てきた場所ではほとんど残っていませんでしたが、石巻港のはずれには瓦礫の山が残っておりました。道路や橋の一部が破損したままになっているところもあります。
重機が寄ってたかって作業しているのは堤防を作っているのだと思います。台形の盛り土をしてそこにコンクリートの板をかぶせて頑丈にして堤防にしているようです。寒い中、暗くなるまで作業をしていました。




その日は、松島町の復興支援の宿、旅籠まつしま香村に泊まりました。ここは、津波で廃業した旅館を地元のかたが買い取って復興支援のための宿泊施設として運営されているそうです。もちろん私のようなそれ以外の一般市民も泊まれます。
香村のご主人の話では、被災地の食材を使うことが復興支援になるので、朝食しか賄えないそうです。それでも朝食は野菜と焼き魚で美味しかったです。もう一泊すると納豆がでるそうですが、納豆はそもそも伊達藩が発祥で、水戸藩は伊達藩から教えを乞うたそうですが、宣伝が上手だったので、「水戸納豆」が有名になってしまったとのことです。


女将さんの話では、震災の当日、石巻に打合せにご主人と出かけていたのですが、揺れが来たとき地盤が沈下しているのを見て、ご主人がとっさに帰るぞと言って、混乱した中を運転して帰ってきた、その間、海岸の潮がどっと退いているのを見て、これは津波が来るとわかったのですが、他の車がいなかったのでそこを通って逃げてきたそうです。すごいと思いました。
まつしま香村(宮城県宮城郡松島町高城字浜37−7)は仙台からは車で40分ぐらいですが、大浴場(といってもそれほどでかくはありません)は、展望風呂でたいへん気持ちいいお風呂でした。みなさんも松島の観光の折はお泊りになって復興支援のお手伝いをして下さい。



2013年12月21日土曜日

「やべぇ〜、逃げろ!」事件

中学生の頃、ソニービルに電子式卓上計算機が展示されていると友達が教えてくれた。私は友達のY君とさっそく見に行ったところ、ソニービルの入り口あたりに実物が展示されており、たくさんの人が見物していた。

(画像は、http://www.dentaku-museum.com/calc/calc/4-sony/sobax/sobax.html より)

近づいてみると、さわって操作でき、みんないろいろやっている。
順番が来たので、Y君とひとしきり計算して「おお、すごい」とか言っていたのですが、ふと思いついたのは、ゼロで割り算したらどうなるんだろう?ということでした。
さっそく、「1÷0=」とキー入力したところ、数字を表示するニキシー管が、ばらばらとめちゃくちゃな数を点滅しだして収集がつかなくなった。周囲のおじさんたちもあっけに取られているではないか。
こんなときにとる行動はただひとつ、「やべぇ〜、逃げろ!」と二人でその場を逃げ出したのである。その後どうなったのかは知らない。

2013年6月1日土曜日

静岡県知事の先駆的戦略、トリウム溶融塩炉

 月刊雑誌「選択」2013年6月号によれば、静岡を拠点として「トリウム溶融塩炉」の研究が始まろうとしている。
 ウランを使った現行の原子炉は危険であるが、トリウムを使った原発というのがあり、これは原理的に安全であるそうだ。原子力研究の初期に、ウランかトリウムかを選択する必要があったが、アメリカが核兵器に使えるウランを選択したため、日本も追従せざるをえなかったということである。
 こうした事情や、トリウム原子炉が本質的に安全なのはなぜかという説明は、この方式の研究を提案している古川和男先生の著書、「原発安全革命」文春新書に詳しく書いてあります。また、YouTubeでも古川先生のテレビ解説を見ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=NhFw32vjyUQ

 今回の静岡の研究は、東日本大震災直後からトリウム炉研究を提言していた川勝平太静岡県知事の意向に沿って中部電力が行う。ウラン一辺倒だった原子力村からは異端視されていたトリウム原子炉が、わが国の将来を切りひらき、国際的に指導力を発揮する一因となれることを期待する。

2013年3月7日木曜日

なぜ正直者は得をするのか

 京都大学の新保守主義(と私が勝手に分類している)の藤井 聡先生の著書、「なぜ正直者は得をするのか--『損』と『得』のジレンマ」を読みました。
「自分さえよければそれでいい」とか、「ばれなきゃ大丈夫だよ」とか、「税金まともに払うなんて馬鹿だよ」とか、そういう発言に怪しからんと憤慨している人は多いと思います。そこまでひどくなくても、「利己的に行動するのは当然だ」という意見に、???の思いを抱いた人もいると思います。

 この本は、そういう考えの人や集団が敗北し、挙げ句の果てには滅び去るのだということを、心理学、経済学、倫理学や生物学から学問的に論じています。きわめて論理的に議論されていますが、ところどころに興味深い実例が出ています。

 古い例ですが、「共有地の悲劇」という英国で起きた事例があります。中世までは英国には「コモンズ」と呼ばれる共有の牧草地があり、羊飼いたちがそこに羊を放ち、飼育していました。ところが産業革命以後「コモンズ」を巡る状況に大きな変化が起きたそうです。産業革命によって新しい利己主義の羊飼いが出現し、自分の利益を最大化するために羊の頭数を増やしました。当然、その羊飼いの収益が上がりますので、他にも追従する人が出てきました。その結果、羊一頭当たりの牧草が不足し、一頭の羊から得られる利益が減りました。利己主義者は羊の数が多いので、それまでの利益は全体として確保しましたが、大多数の正直者の羊飼いは損害を受けたということです。

 どこかで聞いたことのある話ですね。民主党の岡田さんが地方に行ってタクシーに乗ったとき、運転手さんに、「このへんはシャッター街だな。」と言ったら、運転手さんが「イオンができましたからね。」と言われて返す言葉がなかったという話があります。

 こうした利己的行動は、新自由主義の教育を受けたことで正当化されるそうです。この本によると、経済学部の学生は利己的行動をとることが他学部の学生に比べて統計的に有意な差があるそうです。また、近年はそういう教育を受けた人が経済界やマスコミや教育界に多数いるので、国民の多数がそれで当たり前だと考えてしまう傾向にあるそうです。

 飯田史彦先生の「生きがいの創造」などのようにあの世の存在を認めた(仮定した)うえで説明すれば、なるほど人は問題にあたったときにどういう考えで解決にあたればよいのかがわかりますし、なぜ自分のことだけしか考えない人がよろしくないのかも説明できます。いっぽう、藤井先生のこの本は、この世で起きることをこの世の範囲で説明しきっているところに価値があると思います。